初釜

初釜でした。お軸が申の絵だったのですが、これを見られるのは最低でも12年後かと思うとなんとも複雑な気持ちに。お軸にかぎらず、お茶器なんかは江戸時代のものどころかそれ以前のものもいまだ普通に出てくるわけで。明治のものでも最近のものあつかいだったりする。お茶の時間はあまりにも流れるのがのんびりしていて、それに比べて人の一生はあっという間だ。でもそのお茶器を作ったのはやっぱり人間で、寿命はみじかくても作ったものとか名前は残るんだなあと思った。当然だが何をするかが重要だよなあ、生きた時間じゃないよなあ。
とか(あまりにもあたりまえすぎることを)考えてたら、「茶杓(これも江戸初期〜中期のもの)の作者は90ウン歳まで生きた人で、作者が長生きでおめでたいから使った」とかいう話もあったので、やっぱり長生きはしたほうがいいよなとあっという間に主義換えしました。それにしてもなんかやんなきゃいけないけど。
そんなことはどうでもいいんですが、お茶いれがなつめでなく「ふぶき」という、ふたが平たくて角を落としたかたちの塗りの入れ物でした。かたちがとてもかっこよかった。シャープなのに冷たくない。すばらしい。お濃茶をいただいたお茶碗もたいへんよかったんだけどまたしても名前を忘れた……。対州なんとかっていってたような……。