「月の夜」「晩秋の一夜」

生活

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エレファントカシマシのアルバムはだいたいにおいて季節がはっきりしている。なんでかというと、きっとこういうことだろう。宮本という人は日本の四季の移り変わりが極端に好きというか、そういうもんに敏感に生きていくのが勤めだと思っている。彼らのアルバムというのは作り手(宮本)の心持がストレートに吐き出される場所だ。当然、作っている季節やらが大きく影響する。あたりまえっていやあたりまえなんだけど、意外とそのへんがあたりまえになってない音楽は世の中にたくさんある。そういや「風」も夏っぽいよなあ。夏っていっても全然うきうきとかしてなくて、湿った東京の夏なの。でも出た季節は秋だからマーケティングとか考えたら全然なってない。でも作った時が熱帯夜の時期なんだからこれが当然だ。夏前なのに夏向けでぱーっと明るい歌詞で…なんて考えて作るのはまだ寒いさなかにビキニの撮影するみたいなもんだ。うそばっかりだ。そういうバカなことをしないのがいいんだよ。
このアルバムは秋だ。それももう秋も終わる頃、静かな季節。でもまだ冬にはなりきらない頃。この2曲はアルバムの終わりに収録されてるんだけど、もはやこの曲が始まったところから余韻がはじまるみたいな感じ。余韻が始まるってヘンな言い方だけど。何がいいたいかというと、余韻を楽しむときみたいにじっとして耳をすませて聞くといいということ。曲自体はとてもシンプルなです。でもちゃんと聞くと全然すっきりしてないから。中身が整理されてまとまっているわけじゃ全然ないから。なんとなく聞いちゃだめだ。
あと行き詰まってるときに聞くとみやじがいっしょに行き詰まってくれるのでいいと思う。「人の働く真昼には俺は家にて寝て暮らしている」「ひとり動かず部屋にいた」「日々の暮らしに背中をつつかれて、それでも生きようか死ぬまでは」云々。でもまだこの当時は「若きこの身」なんだよな…。今ならどう歌うんだろう。晩秋の一夜はまだ生で聞いたことがない。
エレファントカシマシ4枚目「生活」に収録。